高知県内の「長宗我部」の名字の詳細
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■ 長宗我部(ちょうそかべ): 高知県の長宗我部家

# 高知県の長宗我部家: 土佐国長岡郡宗部郷(高知県南国市)をルーツとし、渡来系古代豪族秦氏の子孫を称す。戦国時代には四国有数の大名となったが、関ケ原の戦い後に衰退した。一族は島家の名で続いた。

・ 土佐国の戦国大名。「長曾我部」とも書く。鎌倉時代初期に秦能俊が土佐国長岡郡宗部郷(高知県南国市)に転じ、香美郡宗部郷と区別するために長宗我部氏を称した。鎌倉時代は地頭となって周辺に多くの庶子家を派出、岡豊城を中心に総領支配を築いた。1508年に兼序は本山氏、山田氏吉良氏大平氏の連合軍に攻められて戦死、子の国親は中村の一条氏のもとに逃れた。1518年に岡豊城に戻り、子の元親のときに土佐一国を統一した。さらに、阿波の海部氏、讃岐の十河氏、伊予の河野氏を降して四国全体も支配。津野氏吉良氏香宗我部氏などの国内の主要豪族や、讃岐の香川氏なども縁組みによって一族に取り込んだ。1585年に豊臣秀吉に敗れて再び土佐一国の領主に戻された。関ヶ原合戦で盛親は西軍に属し、さらに内紛もあって改易され。その後、盛親は大坂陣で豊臣方に属して六条河原で斬られて滅亡した。【出典】   

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