滋賀県内の「遠藤」の名字の詳細 | |
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■ 遠藤(えんどう): 滋賀県の遠藤家
# 滋賀県の遠藤家: 近江国の三上藩主。桓武平氏の東氏の一族。
・ 三上藩(滋賀県野洲市)藩主。戦国時代には代々東(とう)氏に従っていたが、盛数が東常慶の女婿となって美濃八幡2万石の所領を継承、斎藤龍興に仕えた。盛数は慶隆と甥の胤俊に所領を分割し、以後嫡流の八幡遠藤家と胤俊の木越遠藤家は両遠藤家と呼ばれた。慶隆は1584年の小牧合戦で織田信雄に通じたと疑われて美濃小原7500石に減知された。関ヶ原の合戦では東軍に属し、美濃八幡2万7500石を回復。1692年に五代常久が7歳で死去したため無嗣断絶となった。その後、五代将軍徳川綱吉の側室のお伝の方の妹婿の白須政休の子の胤親が名跡を継ぎ、1698年に近江三上藩1万石で再興した。幕末に胤統は若年寄を務めた。1870年に胤城の時に和泉吉見に転じた。1878年に胤城の時に東氏に復し、明治時代には子爵。【出典】
# 滋賀県の遠藤家: 東海道の大津宿(滋賀県大津市)で藤屋を号した菓子商の老舗。元々は武士で浅井家に仕えていたが、寛文年間に創業。
・ 東海道の大津宿(滋賀県大津市)で藤屋を号した菓子商の老舗。祖は浅井長政に仕えた遠藤喜右衛門直径で、1570年の姉川の合戦で討ち死、その四男の末裔という。代々仁兵衛を称した。1661年に鶴屋仁兵衛として創業。1702年に伏見宮家の仲介で京都御所の御用達商人に加えられ、藤屋内匠の屋号を賜った。後に膳所藩の御用達にもなった。【出典】
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