新潟県内の「小和田」の名字の詳細 | |
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■ 小和田(おわだ)
# 皇太子妃(皇后)雅子さまの実家の小和田家は越後村上藩士の子孫。小和田家は江戸時代中期から藩士であったことは確認されているが、そのルーツは不詳。【出典】
# 新潟県には小和田の名字は少ない一方、村上藩主の内藤家は村上に来る前は駿河田中藩(静岡県藤枝市)の藩主であったほか、江戸時代初期には伊豆韮山にいたこともある。静岡県には小和田の名字が多いことから、小和田家は内藤家とともに、静岡県から移ってきたと考えられる。また小和田家は、村上藩の中でも下級藩士にすぎず、しかも雅子さまの実家は、明治維新前後に分家した家の子孫。【出典】
# しかし、新潟県立高田高校校長をつとめた小和田毅夫が出て以降の小和田家の活躍はすさまじく、5人の子供は全員東大を卒業して、学者や官僚として活躍、長男の小和田顕は国語学者として名高く、専修大学の教授もつとめた。二男の恒はOECD代表部大使や外務事務次官などを歴任、昭和の終わりから平成の初めにかけての日本を代表する外交官である。雅子さまは小和田恒の長女にあたる。【出典】
# なお、恒の弟の統と亮はともに運輸官僚となり、統は海上保安庁長官などを務めた。【出典】
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