福島県内の「懸田」の名字の詳細 | |
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■ 懸田(かけだ)
# 陸奥国伊達郡の国人。源義家の六男の義隆の末裔で、1335年に北畠顕家の命で定隆が伊達郡懸田(福島県伊達市霊山町掛田)に転じたのが祖というが、大江姓ともいわれはっきりしない。懸田城に拠り、室町時代には奥州南部の有力国人だった。戦国時代には、伊達氏に属していたが、1542年の伊達家の内訌(天文の乱)では、伊達稙宗に与したため、1548年の講和の際に懸田城が廃城になった。これを不満として、俊宗は伊達晴宗に叛いて敗れ、子の義宗とともに斬られて滅亡した。【出典】
# 陸奥国伊達郡の国衆。源義家の六男の義隆の末裔で、建武2年(1335年)に北畠顕家の命で定隆が伊達郡懸田(福島県伊達市霊山町掛田)に移り済んだのが祖と言われるが、大江姓ともいわれ不詳。懸田城に拠って、室町時代には奥州南部の有力国人であった。戦国時代には、伊達氏に属していたが、天文11年(1542年)の伊達氏の内訌(天文の乱)では伊達稙宗に与したため、天文17年の和睦の際に懸田城が廃城になった。これを不満として、天文22年に俊宗は伊達晴宗に叛いて敗れ、子の義宗とともに斬られて滅亡した。【出典】
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