「伊達」の地名
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「伊達」の名字 「伊達」の語源
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■ 伊達(だて): 北海道伊達市。

■ 伊達(だて): 福島県伊達市(郡)
# 伊達(だて)郡: 陸奥国の郡名で「いだて」ともいう。初見は「和名抄」。「和名抄」信夫郡の注に「国分為伊達郡」と見えることから、平安末期にはすでに本郡が信夫郡から分立していたと想像される。当郡は文治5年の奥州合戦の戦功により、中村常陸入道念西(朝宗)が伊達郡の郡地頭職を与えられた。天正18年蒲生氏の領する会津領となり、慶長3年上杉氏の会津入封により同じく会津領となり、重臣本庄繁長を福島城代において本郡を統治した。
伊達氏は一族を郡内に扶植しつつ勢力を伸ばし、石田・桑折・西大枝・大枝・石母田・大窪・富沢・高成田山崎飯田・桐窪菅らがその被官である。南北朝期には伊達総領行朝は北畠顕家・顕信に従って歴戦した。乱後、南党の勢力は衰えたが、次第に勢力を蓄え、伊達持宗は信夫荘に侵入、室町中期に14代稙宗が梁川に居城し、桑折西山城では戦国家法である「塵芥集」を制定した。17代伊達政宗は米沢城(山形県米沢市)に生まれ、二本松城の畠山氏や浜通りの相馬氏と戦火を交え、安達郡を所領に加え、強力な戦国大名へと成長した。天正17年黒川城の蘆名氏を滅ぼし、黒川城(会津若松市)に入ったが、翌18年豊臣秀吉に所領を没収され、蒲生氏郷が本郡に入った。【出典
# 伊達郷(いだてのごう): 平安時代に陸奥国にみられた郷名。「和名抄」では信夫(しのぶ)郡7郷の1つ。
# 伊達駅(だてえき): 福島県伊達市細谷。JR東日本・東北本線。達(館、楯の意味で防御地名)が二字化して伊達に変化したもの。大正3年(1914年)に長岡駅を改名した。【出典

■ 伊達崎(だんざき): 福島県伊達郡桑折町伊達崎(だんざき)。福島県の中通り北部、福島盆地北部に位置する。「いだてざき」ともいった。【出典

■ 伊達町(だてまち): 昭和に東京都渋谷区にみられた地名。もとは豊多摩郡渋谷町大字下渋谷字伊達前(だてまえ)・伊達跡の各一部で、渋谷町の大字として成立。字名は伊予宇和島藩伊達家の下屋敷があったことによる。昭和7年渋谷区の町名となる。同41年現行の恵比寿(えびす)3丁目となる。児童遊園にその名をとどめる。【出典

■ 伊達村(だてむら): 南北朝時代に常陸国佐都西郡にみられた地名。現在のどの地にあたるかは不明。

■ 伊達(だて): 新潟県十日町市伊達。古城跡のあるところから、地名は館の転訛でないかといわれる。【出典

■ 伊達方(だてがた): 静岡県掛川市伊達方(だてがた)。地名は伊達氏知行地であったことに由来するといわれる。【出典

■ 伊達氏居館(だてしきょかん): 岡山県上房郡賀陽町。府元山城・奥樋城ともいう。弘安年間に伊達朝義が鎌倉から来住して築いた居館的平城。

■ 伊達野(いたちの): 高知県南国市伊達野(いたちの)。もと低湿な荒蕪地で、地名は、篠竹などが生茂る原野にイタチが多く生息し、ネズミの天敵となっていたことにより、感謝の意もこめて命名されたという。【出典

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