前田玄以
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■ 前田玄以: 「前田」の名字の由来

# 秀吉の五奉行の一人。美濃国の出で、尾張国で寺の住職をしていたが、その後織田家に仕え、秀吉の下で公家や寺社を管轄した。関ヶ原の戦いでは曖昧な立場を取り、子の前田茂勝は東軍に属し、丹波国亀山から八上に転じて5万石を領した。しかし1621年に発狂して改易。【江戸の殿さま 全600家 八幡和郎 講談社】

・ 前田玄以(まえだげんい): 1539−1602年。僧侶だったが還俗して織田信忠に仕えた。本能寺の変の際には、信忠から嫡男の三法師を託されて二条城から清洲城に逃れた。その後、織田信雄に仕えて京都所司代をつとめ、のちには豊臣秀吉に仕えた。関ヶ原の合戦では西軍に属したが徳川家康に内応した。【出典


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