「喜多方」の地名の由来 | |
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■ 喜多方(きたかた): 福島県喜多方市
# 喜多方は昔は小田付(おたつき)と言ったが、会津若松の北にあるので北方となり、喜多方となった。喜多方は佳字。
# 小田付村: 福島県喜多方市
・ 陸奥国(福島県)耶麻郡に江戸時代から明治8年にかけてみられた村名。会津藩領。小田付組に属す。明治8年小荒井村ほか3か村と合併して喜多方町となる。【出典】
・ なお「新編会津」によれば、この村の奥に入田付・中田付の2村があるので、昔は出戸田付村といったが、天正10年蘆名氏の重臣佐瀬大和守種常が、中田付村の市場は不便だとして93か村の人夫を徴発し、台・南条・古屋敷・小田付の4つの集落の民居を集めて町割を行い小田付村と改め、六斎市を開いたと伝える。佐瀬大和守種常の居館が村中にあったという。また村の西部の総社神社にある市神石は中田付村から市を移したときに運ばれたものであるという。【出典】
・ 喜多方: 古くは北方と呼ばれた。明治8年に、周辺の5村が合併し、「喜びが多い」という意味をこめて喜多方町とした。【出典】
・ 喜多方駅(きたかたえき): 福島県喜多方市字町田下(まちだした)。JR東日本・磐越西線。北方の換え字。都邑(若松)の北に開けたことを示す。【出典】
・ 喜多方(きたかた): 「喜多方」は、もとは「北方」の意味と思われるが、この「北方」という地名は「ボッケ」と読まれることが多く、意味は「崖」のこと。しかし、「喜多方」は崖ではなく、文字通り「北の方」の意味。戦国時代の天文8年(1539年)の「北方」という地名が確認されているが、明治8年(1875年)に、「北方」の中心にあった五村が合併する時に、「喜びが多い」という意味で「喜多方」と命名したという。【出典】