宮崎県内の「北原」の名字の詳細 | |
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■ 北原(きたはら)
# 日向国・大隅国の国衆。鎌倉時代に、肝付兼貞の三男の兼幸が串良地方の弁済使になって、大隅国肝属郡北原(鹿児島県鹿屋市串良町)に住んだのが祖で、北原城に拠った。南北朝時代、兼延は宗家の肝付氏とともに島津氏と戦って敗れ、正平12年(1357年)に落城。日向国に転じて畠山直顕に従って、真幸院を賜った。直顕が失脚すると、守護の島津氏に仕えた。室町時代末期には日向国南部に勢力を広げ、戦国時代には再び大隅国北部に進出したが、島津氏と伊東氏の狭間で両氏の勢力争いに巻き込まれて、永禄7年(1564年)に島津本家の島津貴久に敗れて貴久の家臣になった。【出典】
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