広島県内の「小早川」の名字の詳細 | |
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■ 小早川(こばやかわ): 広島県の小早川家
# 広島県の小早川家: 相模国早川(神奈川県小田原市)をルーツとする。桓武平氏の出といい、鎌倉時代に安芸国沼田荘(広島県竹原市周辺)の地頭となって下向した。【出典】
# 安芸国の戦国大名。桓武平氏の出。土肥実平の子の早川太郎遠平が祖で、名字の由来の地は、相模国足柄郡早川(神奈川県小田原市)。源平の合戦後に、遠平は平氏の旧領であった安芸国豊田郡沼田荘(広島県三原市本郷町)の地頭を賜って、遠平の嫡男の維平は土肥宗家を継承し、平賀義信の五男の景平が沼田荘を継いで小早川氏を称した。嫡男の茂平は建永元年(1206年)に下向し、承久の乱で賀茂郡竹原荘(広島県竹原市)の地頭となって、嫡男の雅平には沼田荘を、その弟の政景には竹原荘を譲ったことから、以後は沼田小早川氏と竹原小早川氏の二流に分かれた。その後は、多くの庶子家を出して、室町時代には大三島を除いた芸予諸島のほぼ全域を支配し、将軍の奉公衆として在京した。戦国時代にも有力国人として活躍した。戦国時代には竹原家の興景に子がおらず、毛利元就の三男の隆景が養子となった。さらに、沼田家では、正平の嫡男の繁平が盲目であったことから、繁平の妹を隆景の室として両家を統一して、以後は毛利家の重臣になった。隆景の跡は豊臣秀吉の甥の秀次が継いで、この際に多くの家臣は毛利家を引き上げた。【出典】
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