岐阜県内の「三木」の名字の詳細 | |
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# 三木(みつき): 飛騨国の戦国大名。「みき」とも読む。宇多源氏の多賀氏の一族で、則綱が近江国三木に住んで三木氏を称し、応永年間頃に飛騨国の守護の京極氏の代官として飛騨国益田郡に下向したのが祖。則綱の子の綱良(重頼)は益田郡萩原(岐阜県下呂市萩原町)に転じ、その子の直頼のときに桜洞城を築いた。大野郡や吉城郡にも勢力を広げた。自綱(頼綱)は天神山城の高山外記を降して大野郡を制すると、松倉城を築いた。飛騨国の国司の姉小路家が滅亡すると、自ら姉小路氏を称した。天正13年(1585年)に佐々成政と与して豊臣秀吉に叛いたが敗れ、天正15年に死去して滅亡した。【出典】
# 三木(みつき): 「みき」とも読む。飛騨国の戦国大名で、宇多源氏の多賀氏の一族で、則綱が近江国三木に住んで三木氏を称し、応永年間頃に飛騨国の守護の京極氏の代官として飛騨国益田郡に降ったという。則綱の子の綱良(重頼)は益田郡萩原(岐阜県下呂市萩原町)に転じ、その子の直頼のときに桜洞城を築いた。大野郡や吉城郡にも勢力を広げた。自綱(頼綱)は天神山城の高山外記を降して大野郡を制すると、松倉城を築いた。飛騨国の国司の姉小路氏が滅亡すると、自ら姉小路氏を称した。1585年に佐々成政と結んで豊臣秀吉に叛いたが敗れ、1587年に死去して滅亡した。【出典】
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