「京極」の名字の由来
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■ 京極(きょうごく)

【2023/05/22:改編】

# 3541位

# 宇多源氏佐々木氏流などにみられる。

# 代表家紋

# 秋田県:514位、宮城県:981位など。

# 佐々木氏の四男の氏信が近江国の北部と京の京極高辻の館を継いだのに由来する。また三男は「六角」を興した。京極高清の家紋

# 守護大名宇多源氏の出。佐々木信綱の四男の氏信は北近江六郡を相続し、京極高辻に館を構えたことから京極氏を称した。鎌倉時代には幕府の御家人となった。元弘3年(1333年)に高氏(道誉)は足利尊氏に従って佐々木一族の惣領と認められ、のちに六波羅探題になった。室町時代の設立後には四職の一つとなって、近江国飛騨国出雲国隠岐国守護を兼ねた。応仁の乱では持清が東軍の将として活躍したが、その没後に家督を継いだ孫の高清と、その叔父の政経との間で内訌になった。その後、南近江は同族の六角氏が、北近江は家臣だった浅井氏に実権を奪われて、出雲国・隠岐国守護代尼子氏に押領されて没落した。高吉は将軍足利義輝の近習になって、義輝の没後には近江国に逃れてきた覚慶(後の足利義昭)のために奔走した。義昭が将軍になると従ったが、まもなく致仕した。天正元年(1573年)に浅井氏が滅亡すると、高次は京極氏の旧臣を集めて織田信長に仕えた。本能寺の変後、高次は明智光秀の誘いに応じて羽柴秀吉の居城の近江国の長浜城を攻めて占拠したため、秀吉の追及にあって美濃国越前国若狭国に身を隠した。その後、妹が秀吉の側室の松丸殿になったために許されて弟の高知とともに秀吉に仕え、京極氏を再興した。【出典

# 京極から派生した名字には、「黒田」「尼子」などがある。

# 兵庫県の京極家

# 京都府の京極家

# 香川県の京極家

# 小説家の京極夏彦は北海道小樽市の出身。

# 京極家

# 「京極」の語源

# 多度津藩 ・ 豊岡藩 ・ 丸亀藩 ・ 峰山藩

# 「京」のつく名字

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