富山県内の「椎名」の名字の詳細 | |
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■ 椎名(しいな): 富山県の椎名家
# 富山県の椎名家: 桓武平氏の千葉氏の一族。下総国椎名内村(千葉県旭市)をルーツとする。下総の椎名家の一族が越中国に移り住んで松倉城(富山県魚津市)を本拠とした。戦国時代には越中国東部に勢力を広げたが上杉謙信に滅ぼされた。【出典】
# 越中国の戦国大名。鎌倉時代、下総国の椎名氏の一族が、越中国新川郡に転じ、越中椎名氏になったと見られるが不詳。室町時代には新川郡で守護代をつとめ、松倉城(富山県魚津市鹿熊)に拠って、小津(魚津)にも館を構えた。永正17年(1520年)に長常は越後国から侵入してきた長尾為景と戦って敗れてその代官になったが、引き続き松倉城に拠って越中国の東部を支配し、西部の神保氏と対立した。神保氏が武田氏と結んで侵攻してきた際には、椎名康胤は上杉謙信の応援をもとに撃退、長尾小四郎景直を養子として迎えるなど上杉氏と結びつきを強めたが、永禄11年(1568年)に武田信玄に寝返ったため、上杉軍に攻められて松倉城が陥落した。その後は、一向一揆と結んで富山城で上杉氏に対抗したが、元亀4年(1573年)に落城した。天正4年(1576年)に康胤は上杉謙信に討たれ、養子の小四郎も天正7年の上杉家の御館の乱で景虎方について討たれ、滅亡した。【出典】
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