山形県内の「寒河江」の名字の詳細 | |
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■ 寒河江(さがえ): 山形県の寒河江家
# 山形県の寒河江家: 出羽国の戦国大名で大江姓。大江広元が鎌倉幕府から出羽国最上郡寒河江荘(山形県寒河江市周辺)を賜り、舅の多田仁綱を目代として派遣し、地頭を嫡子の大江親広に譲った。五代の元顕が寒河江に移り住み、八代の時氏が寒河江氏を称した。南北朝時代には南朝に属し斯波氏と戦ったが大敗。室町時代には左沢氏や高屋氏などの分家を出した。戦国時代初期には伊達氏に属していたが離反して最上氏に従った。後に最上義光に討たれて滅亡した。一族は最上家に仕えたほか、仙台藩士もある。【出典】
# 出羽国の戦国大名。大江広元が鎌倉幕府から出羽国村山郡寒河江荘(山形県寒河江市周辺)を拝領したのが祖。広元の舅の多田仁綱を目代として寒河江荘に派遣し、地頭職は嫡子の親広に譲った。五代の元顕の頃に寒河江に入部し、八代の時氏のときから寒河江氏を称した。室町時代には左沢氏や高屋氏などの庶流を出し、伊達氏や最上氏と対立した。戦国時代初期には伊達氏に属していたが、やがて離反して最上氏に従った。その後、最上氏の内訌に巻き込まれて寒河江一族も分裂、天正12年(1584年)に嫡流は最上義光に討たれて滅亡した。【出典】
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