龍造寺隆信
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■ 龍造寺隆信(りゅうぞうじたかのぶ)【出典】: 「龍造寺」の名字の由来

・ 「龍造寺」の名字の由来

・ 1529−1584年。享年56歳(戦死)。

・ 出身地: 肥前国

・ 肩書き: 武将。

・ 家族: 父:龍造寺周家。

・ 隆信は、肥前国も龍造寺氏の出で、本家の胤栄(たねみつ)が死去すると、家督を継いだ。当初は大内氏に属して勢力を拡大したが、大内義隆が謀反で死亡すると、隆信は後ろ盾を失って、肥前国を追われた。その後、1553年に再興のために兵を挙げ、当時九州で強大な勢力をもった大友宗麟の配下になって肥前国に戻った。その後は、勢力を拡大したが、それを恐れた大友宗麟から、1570年に攻撃を受けた。しかし、家臣の鍋島直茂の進言で夜襲をかけて成功し、大友軍を退けた。その後隆信は肥前国を統一、さらに大友氏島津氏日向国で大敗すると、大友氏の領地を攻略して、九州北部を勢力下とした。その後、島津氏の圧迫を受けて、1584年に沖田畷の合戦で島津軍に敗れて討ち死にした。


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