肥前国
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# 旧西海道。

# 現在の佐賀県長崎県

# 太閤検地での石高: 31万石。【戦国大名県別国盗り物語 八幡和郎 PHP文庫】

# 延喜式による国力順位(納税額による)【本当は面白い「日本中世史」 八幡和郎】。肥前国は30位。

■ 松浦郡(まつうらぐん): 肥前国(佐賀県)

・ 「まつら」ともいう。「魏志倭人伝」に見える「末盧国」は「まつろ」と読むのであろう。現在の唐津(からつ)市を中心とする末盧国の所在から次第に九州北西部一帯の平戸・五島までを含む広い地域を指すようになったと考えられる。「古事記」「先代旧事本紀」などには末羅県・末羅国造の名がみえる。「肥前国風土記」「延喜式」には肥前国松浦郡があり、「肥前国風土記」逸文には松浦県とある。「和名抄」では「万豆良」と訓じている。「肥前国風土記」の神功皇后伝説では、郡名の由来を「希見(めずらし)」(梅豆羅志)国に由来すると伝える。【出典

・ 神功皇后(息長足姫・おきながたらしひめ)が新羅の征伐に行く途中、この郡の多摩市までの小河のほとりで食事をとった。このとき、神功皇后は針をまげて釣り針とし、飯粒を餌とし、裳(腰から下の衣服)の糸を釣り糸とし、河の中の石にのぼり釣り針を下げて祈った。「朕は、新羅を征伐し、かの地の財宝を求めんと欲す。そのことが成功し凱旋するならば、細き鱗の魚(鮎)、朕の針と糸を飲め」。そして、釣り針を投げ入れると、すぐに魚が釣れた。皇后は「はなはだ、めずらしきことだ」と、言ったので、それによってこの地を「希見国(めずらのくに)」といい、それがなまって松浦郡となった。

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