「最長片道切符の旅」にみる地名と名字のあれこれ | |
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■ 宮脇俊三 電子全集2 『最長片道切符の旅/「最長片道切符の旅」取材ノート』 より
■ プロローグ
・ 最長片道切符のルートを決めた宮脇さん。本人の計算によると、13,319.4kmで当時の国鉄の延長距離の約63%だそうだ。起点は北海道の広尾、終点は鹿児島県の枕崎。
まず、「渋谷」駅の遠距離切符の販売窓口にならんだが、ここでは買えず渋谷駅構内の旅行センターで購入。切符ができるまで4日。料金は65,000円。有効期間は68日。
■ 第1日(昭和53年10月13日)
広尾 | 08:02発:帯広行。2両連結のディーゼルカー。 | |
↓ | 広尾線 | |
帯広 | 10:01着 | |
10:52発:新得行。北見から2両できたディーゼルカーの内1両が新得行きとなる。 | ||
↓ | 根室線 | |
新得 | 11:53着 | |
11:56発:函館行。「特急おおぞら4号」 | ||
↓ | 根室線 | |
富良野 | 13:08着 | |
13:36発:旭川行。赤く塗られた新しいディーゼルカー2両。 | ||
↓ | 富良野線 | |
旭川 | 14:56着 | |
15:03発:興部行。「急行大雪5号」。2両連結のディーゼルカー。 | ||
↓ | 石北線 | |
遠軽 | 17:37着。遠軽にて宿泊。余談ですが、この遠軽町には「東海林」という名字がまとまってみられ、読みが山形県と同じ「とうかいりん」。これから察すると、明治以降この地に山形県から「東海林(とうかいりん)」さんが移り住んだ名残かと。 |
■ 第2日(昭和53年10月14日)
遠軽 | 06:14発:網走行。2両連結のディーゼルカー。 | |
↓ | 石北線 | ※ 途中地名: 「生田原(いくたはら)」「金華(かねはな)」「留辺蘂(るべしべ)」 |
北見 | 07:52着。北見はかつては「野付牛(のつけうし)」と呼ばれた。野付半島は知ってますが。 | |
07:59発。池田行。 | ||
↓ | 池北線 | ※ 途中地名: 「置戸(おけと)」「小利別(しょうとしべつ)」「大誉地(およち)」「足寄(あしょろ)」「本別(ほんべつ)」 |
池田 | 11:26着。 | |
12:01発。釧路行。急行狩勝1号。 | ||
↓ | 根室線 | ※ 途中地名: 「浦幌(うらほろ)」「厚内(あつない)」「直別(ちょくべつ)」「音別(おんべつ)」「白糠(しらぬか)」「大楽毛(おたのしけ)」 |
釧路 | 13:47着。 | |
14:45発:厚岸行。2両連結のディーゼルカー。 | ||
↓ | 根室線 | |
厚岸 | 15:47着。 | |
16:22発。急行ノサップ3号。2両連結のディーゼルカー。 | ||
↓ | 根室線 | ※ 途中地名: 「浜中」「霧多布(きりたっぷ)」 |
厚床 | 17:11着。3日目は「厚床」を起点に標津線で網走方面に向かう予定だが、宮脇さんは、なぜか厚床で降りずにそのまま急行ノサップ3号で根室に向かう。根室着は5分遅れで18:00。ここで宿泊。3日目は05:31の根室発の列車で厚床まで引き返すのだが、こういう手法って「最長片道切符の旅」としてはどうなんだろう?まぁ、こまい事にこだわるつもりが無いが、なんとなく釈然としない気もする。 |
■ 第3日(昭和53年10月15日)
厚床 | 06:33発。中標津行。1両のディーゼルカー。 | |
↓ | 標津線 | ※ 途中地名: 「別海町」「奥行臼(おくゆきうす)」駅、「西別(にしべつ)」。 |
中標津 | 07:38着。 | |
07:46発。標津行。 | ||
↓ | 標津線 | ※ 途中地名: 「計根別(けねべつ)」「養老牛(ようろううし)温泉」「泉川」。 |
標津 | 着時刻不明。 | |
09:52発。網走廻り急行大雪6号札幌行。 | ||
↓ | 釧網線 | ※ 途中地名: 「美留和(びるわ)」「川湯(かわゆ)」「斜里(しゃり)」「浜小清水(はまこしみず)」「濤沸湖(とうふつこ)」。北海道の熊の約3割の1000頭は知床に住む。 |
網走 | 12:02着。 | |
14:23発。湧網線経由湧別行。 | ||
↓ | 湧網線 | ※ 途中地名: 「能取湖(のとろこ)」「常呂(ところ)」「サロマ湖」「計呂地(けろち)」「志撫子(しぶし)」「芭露(ばろう)」。 |
中湧別 | 17:00着 | |
18:00発。興部(おこっぺ)行。 | ||
↓ | ||
紋別 | 18:47着。紋別泊まり。 |
■ 第4日(昭和53年10月16日)
紋別 | 05:28発。名寄行。 3両連結のディーゼルカー。 | |
↓ | 名寄線 | ※ 途中地名: 「渚滑(しょこつ)」「興部(おこっぺ)」 |
名寄 | 07:52着。 | |
10:35発。下り普通。 | ||
↓ | 宗谷線 | |
美深 | 着時刻不明。 | |
13:59発。音威子府へ。ディーゼル機関車に引かれた客車2両と荷物車1両。 | ||
↓ | 宗谷線 | ※ 途中地名: 「紋穂内(もんぼない)」「恩根内(おんねない)」「咲来(さつくる)」。紋穂内: 「モヌプオナイ」で「小さな平野にある川」。 |
音威子府 | 14:49着。 | |
15:12発。急行天北。グリーン車を含む5両編成。 | ||
↓ | 天北線 | ※ 途中地名: 「浜頓別(はまとんべつ)」「鬼志別(おにしべつ)16:46」 ※ 大正11年に天北線が開通し、当時はこれが宗谷線だった。その後昭和3年に西回りの路線が開通しそれが宗谷線となり、東回りは天北線となった。 |
南稚内 | 17:44着。泊まりは、稚内駅のそばのビジネスホテルの予定?4階建て。中は1,2階は土産物屋や飲食店で、フロントは3階。エレベーターが無い。月曜日なのに稚内駅周辺の宿はどこも満員。結局、南稚内駅近くに新しくできたビジネスホテルに宿泊。タクシーの運転手に聞いたら、今が旬の魚は「そうはち」だそうだ。「そうはち」、小型の「かれい」? |
■ 第5日(昭和53年10月17日)
南稚内 | 06:14発。旭川行き鈍行。気動車3両。 | |
↓ | 宗谷線 | 抜海 (丘の上に大きな岩のあるところ) 勇知(ゆうち) 兜沼 |
幌延 | 07:38着 | |
08:02発。気動車二両。 | ||
↓ | 羽幌線 | 振老(ふらおい) |
手塩 | ||
08:36発 | ||
↓ | 羽幌線 | 遠別(稲作の北限地) 羽幌(幌延から2時間) 羽幌で2両増結して4両に。苫前 古丹別 力昼。 |
留萌 | 11:50着。 | |
12:12発深川行き鈍行。 | ||
↓ | 留萌線 | |
深川 | ||
13:49発 | ||
↓ | 函館線 | |
滝川 | 14:11着。滝川で途中下車で高校野球をテレビで見てた? | |
15:46発。手稲行き鈍行。711系交流電車6両 | ||
↓ | 函館線 | |
岩見沢 | ||
16:42発。客車4両+荷物車2両 | ||
↓ | 室蘭線 | |
苫小牧 | ||
18:30発 | ||
↓ | 千歳線 | ※ 沼ノ端には鈍行しか止まらないので、一つ先の苫小牧まで乗り越し、18:30発の急行ちとせ17号(9両編成)で札幌へ。こういうのあり? |
札幌 | 19:27着 | |
19:28発 | ||
↓ | 函館線 | 琴似、銭函。 |
小樽 | 20:13着 |
■ 第6日(昭和53年10月18日)
小樽 | 05:51発小樽発長万部行き。 | |
↓ | 函館線 | 余市、然別、銀山、小沢(こざわ)。 |
倶知安 | 07:38着 | |
07:46発伊達紋別行き、気動車2両。 | ||
↓ | 胆振線 | 喜茂別、壮瞥 |
伊達紋別 | 10:33着 | |
10:42発 | ||
↓ | 函館線 | 洞爺で途中下車。洞爺発11:36の急行すずらん2号で函館へ。長万部、八雲、森、大沼。八雲は旧尾張藩主の徳川慶勝が開いた酪農地。 |
大沼 | 11:41大沼停車。途中下車(観光?) | |
13:48函館行き鈍行。 | ||
↓ | 函館線 | |
函館 | 14:34着 | |
15:05発(青函連絡船) | ||
↓ | 青函連絡船 | |
青森 | 18:55着 | |
# 一時東京にもどる。寝台特急ゆうづる10号で好摩を通過。 | ||
↓ | 東北線 | |
好摩 |
■ 第7日(昭和53年10月28日)
あれ?次回は、青森から始めるという話しだったが、上野からゆうづる13号に乗り、盛岡着08:54。08:45発(遅延待ち?)の大館行きに乗っちゃった。
★ や〜めた。つきあいきれん。著者の現地の駅名やいろんなコメント、好きな表現ではない。おまけにいくら忙しい合間をぬってのこととはいえ、ちょっとズルなんじゃなかろうか?