「飯尾」の名字の由来 | |
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■ 飯尾(いいお)
【2022/12/26:新載】
# 遠江国敷知郡の引間城(静岡県浜松市)城主。室町幕府の奉行人の飯尾氏の一族とみられる。この一族が吉良氏の家臣となり、戦国時代初期に飯尾賢連が今川氏親に仕えて、引間城に拠ったのが祖。1563年に継いだ連龍は、今川氏真に叛旗を翻して徳川家康に通じたため、氏真から攻められて、一旦は和睦したが、1565年に駿府に赴いた際に氏真に成敗された。【出典】
# 遠江国敷知郡の引間城(静岡県浜松市)城主。「いのお」とも呼ぶ。室町幕府の奉行人の飯尾氏の一族という。この一族が、吉良氏の家臣になって、戦国時代初期に飯尾賢連が今川氏親に仕え、浜松荘の奉行に任ぜられたのが祖。永正14年(1517年)に引間城の城主になった。永禄6年(1563年)に継いだ連龍は、同年に今川氏真に叛旗を翻して徳川家康に通じたため、氏真から攻撃され、一旦は和睦したが、永禄8年に駿府に赴いた際に、氏真に成敗された。【出典】
# 阿波国麻植郡の国衆で、室町幕府の奉公人。「いのお」とも読む。三善康信の末裔が、鎌倉時代に麻稙荘西方の地頭になって阿波国麻植郡飯尾(徳島県吉野川市鴨島町飯尾)に由来して飯尾氏を称した。阿波国では細川氏や三好氏の被官として活躍した。出自は不詳だが、幕府の奉公人にも多くの飯尾氏がいた。戦国時代には飯尾城主に飯尾氏がおり、天正年間の飯尾城主の飯尾久左衛門と善之丞は長宗我部氏との戦いで討ち死にした。【出典】
# 徳島県の飯尾家
# 「尾」のつく名字。
# 「飯」のつく名字。
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