「田原坂」の地名の由来
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■ 田原坂(たばるざか): 熊本県熊本市北区植木町豊岡

・ 低地から台地に上がる坂道で、なだらかな丘を掘り抜いて作られた道。ゆえに、両側が2〜5mほど盛り上がっているのが特徴的。田畑を開墾するかのように道を掘り抜いたところから「田原」と呼ばれた。【出典

・ 田原坂駅(たばるざかえき):熊本県熊本市北区植木町轟。JR九州・鹿児島本線。タ(田)・バル(原)・ザカ(阪)。田が広がっている平地から台地へ上る凹道になっている坂。【出典

・ 田原坂(たばるざか): 明治10年(1877年)に起こった西南戦争の最大の激戦地として有名。九州には「バル」と読む「原」地名が多い。もともと「ハリ」「バリ」は「開墾」を意味する言葉で、漢字では「墾」「張」「針」などの漢字を充てている。「原」を「ハリ・バリ」と読む地域は「尾張」あたりまでが顕著だが、茨城県にも「新治(にいはり)郡」という地名がある。しかし、東日本では「原」は基本的には「ハラ」と読む。【出典】  

■ 田原坂(たばるざか): 熊本県熊本市北区植木町豊岡

・ 比高約60m。西南戦争の激戦地で、三池往還が通る。南方に三ノ岳、北方に木葉山が続く丘陵上に位置し、木葉川から台地上へ、約1.4kmにわたり、一の坂・二の坂・三の坂が連なる。両側に崖が迫り、曲折して見通しが悪く、明治10年の西南戦争の際に薩摩軍の絶好の要害となった。【出典

・  「田(タ)」+「原(バル)」+「坂(サカ)」。田が広がっている平地から台地に上る凹道になっている坂を意味する。【出典

・ 田原坂(たばるざか): 熊本県。もともとは、「はり」「ばり」は「墾る」と書いて、開墾を意味した言葉で、「原」や「張」「針」などと書いた。【出典

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