「鳥辺野」の地名の由来
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■ 鳥辺野(とりべの): 京都府京都市

・ 鳥部野・鳥戸野とも書く。京都市東山区中央部から南方に広がる原野。鳥辺(部)山の麓をさすとする見解が一般的であるが、中には鳥辺山と同義とする説もある。古くは、現在の京都市東山区のほぼ中央部、北は五条坂付近から南は今熊野付近まで、東山の山麓から鴨川にかけてのかなり広い地域をいったもので、古来葬送の地として知られてきた。地名は平安京成立以前からこの地に住んでいた鳥辺氏にちなむとされ、「和名抄」の鳥戸郷に含まれる。現在は「辺」がもっとも一般的な表記であるが、歴史的には「部」が多く用いられた。葬送の地となるのは平安中期以降のことと考えられており、10世紀末からは、この地への貴人の葬送のことがしばしば記録に見える。清少納言が仕えた一条天皇の皇后定子もここに葬られ、鳥戸野陵と称するその御陵は、現在も東山区今熊野泉山町の西に所在する。一説にはこのあたりを南鳥部という。江戸中期までは、庶民の墓には墓石を置く習慣がなく、せいぜい卒塔婆程度であったから、古代末期から近世初期の鳥辺野の景観は殺風景なものであったと考えられる。近世以降は、墓地は大谷(西大谷)本廟から清水寺にかけての一帯(北鳥部)に集中した。今日鳥辺野といえば、この一帯を指す。現在、東方の山科(やましな)区上花山旭山町に花山火葬場があり、葬送の地としての性格が引きつがれている。なお慶長4年豊国廟築造の際に、鳥辺野の火葬の煙が廟所に達したため、それを嫌って火葬所を建仁寺の近くに移したことが、「雍州府志」に見える。【出典】  

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