「交野」の地名の由来
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■ 交野(かたの): 大阪府交野市

・ 昔は「片野」と書き、片側が原野だったことに由来するともいわれる。

・ 交野: 交野は天野川右岸に広がる原野一帯を指す地名で、交野の原とも呼ばれている。古くから当地は百済王氏の居住地で、百済寺もあった。百済王氏出身の高野新笠を母とする桓武天皇は、延暦2年10月14日当地に行幸し鷹狩りをしている。一方当地は狩猟の場としてばかりでなく景勝の地として、古来和歌・物語などに引用されることが多かった。「伊勢物語」には、惟喬親王の院があった「交野の渚」付近の桜がみごとで貴族たちの交野の桜狩りを楽しんでいる様子が記されている。また「枕草子」には「野は……交野……すずろにをかしけれ」とあり、趣のある野の1つとなっており、当時「交野少将」という物語があったことも記されている。「夜半の寝覚」には「交野の萩原」とあり、当地は萩の咲く原としても有名であったと思われる。【出典

・ 「肩」や「潟」が「交」に変わり、「交野」と表わすようになったという説が有力である。【都市データパック2011年版・東洋経済新報社】 

・ 交野(かたの): 大阪府交野市。明治22年(1889年)に合併時の新命名。明治29年までの旧郡名による。ただし、この地は交野郡の名称の起源となった地。カタ(山裾の地)・ノ(野)という地名か。【出典

・ 交野市駅(かたのしえき): 大阪府交野市私部(きさべ)。交野は古くは片野と書いた。交野は片側が原野だったことに因む。【出典

・ 交野(かたの): 河内国交野郡。大阪府交野市。片方が、山や高地で、片方が野として開けているようなところ。片野に同じ。【出典

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