「間人」の地名の由来
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■ 間人(たいざ): 京都府京丹後市間入(たいざ)

# 聖徳太子の母の間入(はしひと)皇后は仏教を崇拝する蘇我氏とそれに反対する物部氏の間に戦いが起きると、この地に避難した。
そこで「間入」という地名になったが、ではどうして「はしひと」と呼ばないのか?それは聖徳太子の弟の鬼退治に由来し、見事に鬼退治を終えた弟は、母と「対座(たいざ)」し、母は暫くしてこの地を「退座(たいざ)」した。従って、「たいざ」と呼んだ。

# 間人(たいざ、はしひと): 「間人」とは「上下二人の間を取り持つ人」。後に、貴人に仕える人を意味した。【出典
※ 余談だが、緑色のタグのズワイガニの産地としても有名。他の港の船は一泊二日で漁にでるが、間入の船は日帰りで漁にでるため、新鮮なカニを水揚げできる。

# 「間人(たいざ)」は、昔は「間人(はしひと)」と読み、「土師人(はじひと)」に由来する。つまり土師部が住んだ所。後に、読みが「たいざ」となった。【日本の地名 60の謎の地名を追って 筒井功 河出書房新社】。何故?田伊佐津という地名があったようだ。

# 「間人(はしうど)皇后」とも称された穴穂部間人皇女(あなほべのはしひとのひめみこ)は、この地に滞在した際に、村に自分の名前を与えようとしたが、村人は遠慮し、皇后が「ご退座」されたことから、「間人」としたという。【出典

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