「十八女」の地名の由来
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■ 十八女(さかり): 徳島県阿南市

# 坂理の地で、女ざかりの十八で亡くなった姫君に由来する。

# 太竜寺という札所がある山一帯は、古くは「坂理(さかり)」と呼ばれていた。伝説によれば、この地に若き女帝である安徳天皇が知人を通じて都落ちしてきた。そこで、代々の庄屋で、村の中央に大きな家を持っていた湯浅家が、奥の間に一室をしつらえて、そこを「行かずの間」とし、姫(安徳天皇)をかくまったが、十八の若さで死亡した。

※ 安徳天皇壇ノ浦の合戦で幼くして死んだんじゃなかったか?

# 地名については、百姓新左衛門の先祖日下但馬守が18歳の姫を守護して当地に落ち延びて開発を行ったとする伝承がある。また一説には、当地が太竜寺山麓に位置するところから、坂入から転じたものともいう。寿永年間に板野郡矢上村で死んだ多くの平家の落武者を三十六塚として祀ったといわれ、天正年間に塚のあった山が崩れたため、現在の宮前の地に移したと伝承する。現在も三十六塚と呼ばれ、五輪石36個がある。なお18歳の姫を守護して当地に来た侍大将は平家の落武者と伝えられる。【出典

# この地を開拓した湯浅但馬守が、姫君をかくまって8歳から18歳まで育てたという伝承があり、それで「十八女」という地名が生まれたという。「さかり」という音は、単純にこの地が「坂入」、坂に入る入り口だったからと推測される。【出典

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