| 「曲川」の地名の由来 | |
| 【参考資料・文献】 | 【利用上の注意】 |
| 名字の由来のTop | 地名の由来のTop |
| 名字と地名のMenu | |
| スポンサーリンク |
| スポンサーリンク |
■ 曲川(まわりかわ): 奈良県橿原市曲川町
・ 天文二十二年(1553年)三月、京の三条西金条(きんえだ・元の右大臣)は、奈良の連歌師の里村紹巴(じょうは)から吉野の花見に誘われた。当時の日記(吉野詣記)によると、「二月二十九日、かくてこよひは高田泊瀬の寺に泊まりぬ(大和高田市)。この寺の僧文山とて心優しき人あり、旧識のごとく心をはこび、ここかしこ道しるべし。有り難き心ざしにありける。丗日、この寺を立ち出でぬるに曲川まで若き人、おくりに馬などひかせてきたり、酒すすめて立ち別れけり。きさらきも今日のみなるに桃花ここかしこに咲きて、川のまがり、曲水(ごくすい)の興を催すべき所のさまなるよし申して、盃に千とせのめぐれる桃の花、川はまがりの水にうかべて」とある。この曲川は現在の橿原市曲川町で、曽我川の曲流する桃源の里であった。中世は「興福寺領、鈎河(まがりかわ)庄」である。「マガリ」は地形の曲がったところ。古代史には安閑天皇勾金橋宮(まがりのかなはしのみや)、崇徳天皇山辺道勾岡上陵など、「マガリ」の地名がみえ、「播磨国風土記」賀古郡の条には「望理(まがり)の里・・・この村の川の曲れるを見て・・・甚美しきかもと勅りたまひき。故、望理といふ」とある。「望理」の用字は「曲川」の好字化か。【出典】