「深川」の地名の由来
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■ 深川(ふかがわ): 東京都江東区深川

・ 徳川家康がこの地を訪れた際に、地元民の深川八郎右衛門を呼び寄せて地名を訪ねた。その際に八郎右衛門が「地名は無い」と答えた所、家康は八郎右衛門の姓をとって「深川」と名付けた。

・ 江戸時代初期に摂津国から移り住んで開拓した深川八郎右衛門に由来する。  

・ この地を埋め立てて、開拓したのが深川八郎右衛門。あるとき、家康が江戸城下の巡視にきた際に、ここの地名を尋ねられ、八郎右衛門が「まだ、埋め立てたばかりで名がありません」と答えたら、家康が「然らば、汝が苗字をもって村名となし、起立せよ。」と、言って深川の地名ができた。【東京・江戸 地名の由来を歩く 谷川彰英 ワニ文庫】

・ 江戸の隅田川の河口近くの東側、南は海に面し、北は本所に連なる広域地名。現在の江東区の西側半分。慶長元年(1596年)に、摂津国出身の深川八郎右衛門ら六人が深川村を開いたとされ、低湿地の埋め立て地。【出典

・ 人名由来の地名集

■ 深川(ふかわ): 広島県広島市安佐北区上深川町

・ 上深川駅(かみふかわえき): 広島県広島市安佐北区上深川町。芸備線。中世、御宇多院御領田門(たと)荘で、深川はその東部。明治22年(1889年)に、狩留家、小河原、上深川の三村が合併して、狩小川村になった。現在は広島市安佐北区上深川町。【出典

・ 中深川駅(なかふかわえき): 広島県広島市安佐北区深川。芸備線。芸藩通史に、「深川はもと符川につくる」とある。フケ(湿地帯)をもつ川の意味か。【出典

・ 下深川駅(しもふかわえき): 広島県広島市安佐北区深川。芸備線。明治22年(1889年)に、中深川、下深川、玖など六村が合併して深川村が成立。安佐郡高陽町を経て、現在は広島市安佐北区深川。【出典

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