濃尾地震
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■ 濃尾地震

・ 明治24年(1891年)10月28日6時38分。岐阜県本巣市(旧西根尾村)を震源とするM8.0の地震。最大震度6。死者7273人。

・ 4秒間の縦揺れの後に激しい横揺れ。3日前に震度4の地震が2回あった。余震は年末まで1010回で、6年間続いた。

・ 震源地の西根尾村では人口の半数近い142人が死亡。

・ 名古屋市の当時の人口は約16万人。

・ 時間的に、火災は少なく建物の倒壊による圧死者が多かった。

・ 当時名古屋城にあった第三師団長が桂太郎(後の首相)という大物で、地震後速やかに警察と連携して出動した。今は、自衛隊の出動は都道府県の要請で、となっていますが出動の決定ってだれがするんだろう?当時、桂太郎は行政からの正式な要請も無く、東京の陸軍上層部の了解も得ず、独断で災害出動を決定した。結局、桂太郎は「無断出動」の責任をとって陸軍大臣に辞表を提出。しかし、明治天皇は辞表を却下したのに加えて「非常事態に即応した行為」として称賛の意を伝えた。
※ こういった自体に即応するシステムが欠如していたんでしょうね。ちなみに、当時の愛知県知令は岩村高俊で北越戦争を悪化させた判断の甘さを指摘する人もいる。当時、岩村県令は東京出張中で、電報で呼び戻されたそうだ。

・ 震災の3日後には1万3千円が皇室から下賜され、義援金の提供は全世界に広がった。

・ この地震で煉瓦建物の多くが倒壊した。その後、耐震構造という言葉が使われるようになった。 

# 濃尾地震

・ 明治24年(1891年)10月28日

・ M8.0。国内の内陸性地震としては最大級。震源は岐阜県の美濃地方西部の根尾谷断層。最大震度7程度。

・ 死者数7273人。全壊家屋は14万2177戸。

・ 山間部では1万箇所あまりの山崩れ。

【今こそ知っておきたい「災害の日本史」 白鳳地震から東日本大震災まで 岳真也 PHP文庫】

 

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