梅野木前
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■ 130710: 梅野木前(山形市

山形市の嶋のケーズデンキの裏の方に「梅野木前」という地名がある。このように、「梅」や「桜」などの植物を冠した地名は至るところにあるが、どうも全てがこういった植物に由来している地名でもなさそうだ。本来は、その地の歴史なども加味しないと判断はできないが、それはちょっとわからないので「地名と地形」だけで推定してみる。

(1) 「梅」は植物の梅を表すほか、「埋める」という意味の佳字とも言われる。

(2) 地形的には、近くに「嶋」「江俣」という地名があり、歴史的には山形市を流れる馬見ヶ崎川は江戸時代の初期まで今の旧県庁付近を通って西の方に流れていた。それを現在の地に付け替えたわけだが、なんの理由も無く多額の資金をつぎ込んで河川の流れを変えるわけもない。当然その背景には暴れ川であった馬見ヶ崎川の洪水から山形の街を守るという視点があったのだろう。逆にいえば、昔、馬見ヶ崎川が流れていた所は洪水の常習地帯であったのだろう。洪水となって溢れた川の流れは幾筋にも分かれるのが常。そこで生まれた地名が「江俣」であり「嶋」なのだろう。ちなみに、「江俣」とは「川が幾筋にも分かれたさま」を表し、「嶋」はその洪水でできた水路から逃れた小高い島状の場所じゃなかろうか。そうすると、梅野木の梅はやはり「洪水で流れてきた土砂に埋め立てられた」という由来の地名のような気がする。

例によって、この解釈は私の推理小説を読むが如きもので、学術的に正しいのかはまったく別問題。

ところで、東京都葛飾区には寅さんで有名な「柴又」がある。この「柴又」はかつては「嶋俣(しままた)」と呼ばれた。「嶋」はデルタ状の土地、「俣」は河川の合流地点を意味する。昔は一帯が海辺で、島のような土地が散在していた。江戸時代以降に「柴又」となった。山形の「嶋」や「江俣」の地名を解き明かすには重要なヒントとなる。

もう一つ付け加えれば、この葛飾という地名。これは昔の下総国葛飾郡に由来し、この葛飾郡は今の葛飾よりも東に拡がるずっと広い地域を表していたそうだ。そこから出てきたのが、「葛西」という地名で、これは「葛飾郡の西の方」と意味なのですが、現在の葛飾区よりもどちらかというと葛西の方は南に位置する。このように歴史的背景を知らずに地名を読み解くと、間違いのもとに成るから要注意だ。

ところで、この葛西。江戸時代には大根の産地で、この地の農民は江戸城の糞尿を始末するかわりに江戸城に大根を納めていたそうだ。江戸周辺では練馬の大根が有名だが、葛西の大根もそれに劣らず有名だったそうだ。

あいかわらず、「梅」に始まって考察し始めるとこのように長文になっていくのは悪い癖だ。

最後に、葛飾と葛西じゃないが、「品川駅よりも南にあるのに北品川駅とはなんぞや?」閑な人は考えてみて下さい。

地図を見、地名を読み解くのはカーナビでは味わえない至極の頭の体操なり。

■ 「うめ」の語源

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