佐渡国 | |
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# 旧北陸道。
# 太閤検地での石高: 2万石。【戦国大名県別国盗り物語 八幡和郎 PHP文庫】
# 延喜式による国力順位(納税額による)【本当は面白い「日本中世史」 八幡和郎】。佐渡国は62位。
# 一説には、旧雑太(さわた)郡に由来するといわれる。
# 狭い海路を示す狭門(さど)や郡郷名の雑太(さわた)などに由来すると言われる。
■ 雑太郡(さわた): 古代から見られる旧佐渡・新潟県の郡名。「延喜式」民部省に見える佐渡国3郡の1つ。 郡名の由来は、「地名辞書」によれば、沢田の義で国府川沿岸が卑湿であったことにちなむという。なお、佐渡の国名が雑太に由来するという説もある。【出典】
※ 佐渡の語源は「佐度(さわたり)」で、「さわた(雑太)」の郡名からきているという説もある。
・ 「延喜式」民部省に見える佐渡国3郡の1つ。武田本「延喜式」神名帳および九条家本「延喜式」民部省は「サハタ」、東急本「和名抄」国郡部は「佐波太」の訓を付す。養老5年、佐渡国で唯一の郡である雑太郡を分けて、賀母・羽茂(はもち)の2郡を置いたとあるのが初見(続日本紀養老5年4月丙申条)。【出典】
# 雑太郷(さわたのごう): 平安時代から室町時代にかけて旧佐渡国にみられた郷名。「和名抄」佐渡国雑太(さわた)郡八郷の1つ。高山寺本は「雑太」につくり、「佐波太」の訓を付す。東急本は「雑田」につくり、「佐波多」の訓を付す。 【出典】
# 続日本紀・文武天皇4年(700年): 2月19日: 越後国・佐度国の二国に、石船柵(いわふねのき)を造営させた。
# 続日本紀・大宝元年(701年): 8月21日: 参河(みかわ)・遠江・相模・近江・信濃・越前・佐度・但馬・伯耆・出雲・備前・安芸・周防・長門・紀伊・讃岐・伊予の十七カ国にイナゴの発生があり、大風が吹き人民の家屋が損壊し、秋の収穫に被害が出た。