山内豊信
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■ 山内豊信(やまうちとよしげ)【出典

・ 1827−1872年。享年46歳(病死)。

・ 出身地: 土佐国。

・ 肩書き: 大名。

・ 家紋: 丸に土佐柏紋。

・ 山内豊信は、土佐藩の山内家の分家の出だったが、家督相続者が次々急死したため、22歳で土佐藩主になった。当時の土佐藩は門閥支配だったため、豊信は革新派の中心人物の吉田東洋を起用して藩政改革を行った。他国の有力藩主であった松平慶永、伊達宗城、島津斉彬らと交流して、幕末の四賢侯と言われた。老中の阿部正弘に政治改革を訴えるなど、幕政にも積極的に関与した。しかし、大老の井伊直弼と対立し、幕府から謹慎を食らった。豊信は前藩主の弟に藩主を譲って隠居して山内容堂を称した。容堂は公武合体を唱えたが、土佐藩では尊皇攘夷が主流となって、武市半平太の土佐勤王党員に吉田東洋が暗殺された。容堂は徳川慶喜に建白書を出して大政奉還に至った。


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