大塩平八郎
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■ 大塩平八郎(おおしおへいはちろう)【出典】: 「大塩」の名字の由来

・ 1793−1837年。享年45歳(自害)。

・ 出身地: 大坂。

・ 肩書き: 陽明学者。

・ 揚羽蝶紋

・ 父親は大坂町奉行の与力で、大塩平八郎も同職についた。その一方、陽明学を学び、大坂で家塾の洗心洞を開いて、役人や農民などに陽明学を講義した。1830年には町奉行所の仕事を辞し、養子に家督を譲った。1832年に天保の大飢饉が始まった。米は豪商によって買い占められ、高騰した。市中には餓死者があふれ、平八郎は救済策を奉行所に上申したが取り上げられなかった。豪商に義援金の相談をしたが断られて、自分の蔵書を売り払った600両で救済活動をし、その結果武装蜂起をした。しかし、事前の密告で乱は半日で鎮圧された。平八郎はその後火薬で自害した。


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