竹垣直温
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■ 竹垣直温

# 「竹垣」の名字。

# 竹垣直温は、江戸時代後期の国学者の小山田与清が書いた「松屋筆記」に、仁徳ある代官として書かれている。

# 直温は、1741年に丹羽長利の三男として生まれ、竹垣直照の養子となった。1777年に、小十人として番入(役付き)し、46歳の時に越後国川浦(新潟県上越市)の代官を父親から引き継いだ。その後、大坂代官を経て、1793年に関東支配の代官となり、約20年勤めた。1809年には、武蔵、安房、上総、下総、下野、常陸国の8万石を支配し、下野国真岡(栃木県真岡市)、常陸国上郷(茨城県つくば市)に、出張(でばり)陣屋をおいた。

# その業績

・ 在職中に天明の大飢饉がおこり、人口は享保時代に比べて3割ほど減少し、間引きや堕胎が行われた。直温は、間引きを禁止し、育児養育金制度をつくった。いまの児童手当の先駆けとも言える。そして、農村への定着政策を行った。農村復興の抜本的対策として、「入百姓」政策を行った。人口も多くまじめな越後国の国の農民から入植者を募り、関東の荒廃した土地に入植させた。

代官の日常生活 江戸の中間管理職 西沢淳男 角川ソフィア文庫】


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