高麗・狛氏
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■ 高麗氏: 「高麗」の名字の由来

# 高麗(こま)氏

・ 狛・巨万にも作る。高句麗からの渡来系氏族。旧名は肖奈公(従来は「背奈公」とされていたが、本来は「肖奈公」であることが判明)、のちに肖奈王、また高麗朝臣・高倉朝臣と改姓された。本拠地は武蔵国高麗郡高麗郷(埼玉県日高市高麗)一帯。新撰姓氏録の左京諸蕃には、高句麗の好太王の後裔氏族という。渡来の経緯は「続日本紀延暦八年(789年)十月乙酉(十七日)の高倉朝臣福信の薨去の条に「福信、武蔵国高麗郡人也、本姓背奈、其福徳属、唐将李※抜、平壌城、来、帰国家、居、武蔵、焉」とあり、668年の高句麗滅亡後に渡来した。霊亀二年(716年)五月辛卯(十六日)に駿河国・甲斐国・相模国・上総国・下総国・常陸国・下野国の七国の高句麗人千七百九十九人が武蔵国に移され高麗郡の開発にあてられたが、このときに肖奈福徳も高麗郡に入ったのであろう。【出典

■ 狛氏: 「狛」の名字の由来

# 狛(こま)氏

・ 高句麗からの渡来氏族姓は首・造新撰姓氏録の右京諸蕃には「狛首、出自高麗国安岡上王也」とあり、高句麗の二十三代王の安原王の後裔と称する狛首氏がある。また山城国諸蕃には「狛造、出自高麗国主夫連王也」とあり、高句麗の夫連王の後裔を称する狛造氏がいる。【出典

■ 「高麗」の地名

■ 「コマ」の資料集

姓:真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連。直・臣・使主・君・公などの詳細

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