京都府内の「内藤」の名字の詳細 | |
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■ 内藤(ないとう)
# 丹波国の守護代。鎌倉時代に内藤秀継が篠山から丹波国船井郡八木(京都府南丹市八木町)に転じたという。永享3年(1431年)に丹波国の守護代になって、天文年間の国貞のころに細川氏から独立した。戦国時代に、貞勝はキリシタン大名として有名。天正元年(1573年)に足利義昭に与したため織田信長から所領を没収され、文禄元年(1592年)には豊臣秀吉に仕えて小西行長に属した。関ヶ原の合戦では前田家の客将になったが、慶長19年(1614年)のキリスト教の禁教令で妹のジュリアとともにマニラに追放された。【出典】
# 京都府の内藤氏: 丹波国の戦国大名。鎌倉時代に内藤秀継が篠山から丹波国船井郡八木(京都府南丹市八木町)に移り住んだ。後に、丹波国の守護となった。足利義昭に組したため織田信長に所領を没収され、小西行長に属し、関ヶ原の後キリスト教の禁教令でマニラに追放された。【戦国大名家辞典 森岡浩 東京堂出版】
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