静岡県内の「長谷川」の名字の詳細 | |
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■ 県内36位: 長谷川(はせがわ)
# 静岡県内では、全域に見られるが、焼津腫脹では6位。【出典】
# 駿河国には後鳥羽上皇の勅命を受けて1214年に京都から藤枝に来て、久能大膳大夫藤原定昌を討ち、その功により藤枝瀬戸郷を賜ったと伝える長谷川氏がある。【出典】
# 益頭郡小川村(焼津市)の長谷川氏の先祖は藤原北家秀郷の十代孫の小河次郎政平から三代後裔の小川次郎左衛門正宣といい、正宣は大和国長谷川村に住んで長谷川氏を称したとも、また坂本村(焼津市)の地頭の加納彦右衛門尉義久の子ともいう。正宣は後に小川(焼津市)に転じて長谷川長重の女婿となり、今川範忠、義忠に仕えて義忠の子の竜王丸(氏親)の擁立に尽くした。【出典】
# 志太郡大草村(島田市)の長谷川氏は小河の長谷川氏の一族で、大和国伏見郷の藤原氏流の長谷川大膳亮充長の後裔といい、初代の長谷川三郎兵衛長久が永禄の頃に、大津郷(島田市)に住み、その子の藤兵衛長盛は大草村に住んで天正年間に徳川家康に仕え島田の代官をつとめた。長盛の子孫は代々藤兵衛を称し、長親、長勝、長春、勝峯と五代島田代官を世襲した。【出典】
# 遠江国の長谷川惣兵衛尉は武田氏に属し、榛原郡門原、安堀(榛原町)の所領を安堵され、三沢村(袋井市)の長谷川平四郎は今川氏に仕え宇刈七騎と呼ばれた。【出典】
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