後鳥羽天皇
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■ 八十二代: 後鳥羽(ごとば)天皇

・ 治承4年(1180年7月14日)生。高倉天皇の子で、安徳天皇の弟。寿永2年(1183年8月20日)に4歳で践祚建久9年(1198年1月11日)に19歳で退位。延応元年(1239年2月22日)に60歳で崩御。

・ 後鳥羽上皇は承久の乱の主役。 

# 後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)【出典

・ 1180−1239年。享年60歳(病死)。

・ 出身地: 京。

・ 家族: 父:高倉天皇

・ 肩書き: 第八十二代天皇。高倉天皇の第四皇子。

・ 19歳になった後鳥羽天皇は、土御門天皇に譲位して、院政を始めた。新しい、親衛隊の「西面の武士(さいめんのぶし)」を設けるなど朝廷政権を復活させようとした。そして、源実朝頼家の子の公暁に殺されて、源氏の直系がとだえると、それをきっかけに挙兵した。これが1221年の承久の乱である。上皇は倒幕の院宣をだせば、東国の武士は幕府に叛いて朝廷側につくと信じたが、鎌倉幕府の結束は強かった。後鳥羽上皇は、実際に軍を率いることはなく、朝廷側の武士の士気はあがらず、1ヶ月で平定された。後鳥羽上皇は幕府に恭順を示したが許されず、隠岐国に流された。これをきっかけに、西国に多かった上皇方の領地は御家人に配られた。


【参考: 令和日本史記 126代の天皇と日本人の歩み 八幡和郎 ワニブックス】
【参考: 日本人なら知っておきたい 天皇家の謎 「歴史読本」編集部 KADOKAWA

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