長野県内の「大井」の名字の詳細 | |
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■ 大井(おおい)
# 信濃国の岩村田の大井氏は、貞隆・貞清父子が天文12〜13年の2年にわたって武田氏と戦い、天文12年9月、父の貞隆は、信濃国小県郡長窪城を開城、降伏し、身柄は甲府に送られた。一方、貞清は、天文15年5月、佐久郡内山城を開城して降伏している。武田信玄は信濃国佐久郡野沢に蟄居していた大井貞清・貞重父子に甲府在府を要請し、生命と進退の保証を明記した起請文を与え、甲府に参府させた。これ以後、大井貞隆・貞清父子はかつては六万貫文に及んだと伝わる本領を没収され、事実上の改易となったが、甲府在府とともに知行を与えられ、軍役などを努めるように命じられた。貞隆は某年に甲府で死去したが、貞清・貞重父子はその後も甲府在府のまま、武田氏に軍役奉公などを努めたらしく、天正3年5月の長篠合戦でともに戦死した。これによって、岩村田大井氏の嫡流は断絶したと推定される。なお、岩村田大井氏の改易後、旧領の地頭、土豪層らは、武田氏の御家人になり、「佐久北方衆」に編成され、佐久郡司の小山田虎満の指揮下に編入された。【出典】
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