群馬県内の「小幡」の名字の詳細
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■ 小幡(おばた): 群馬県の小幡家

# 群馬県の小幡家: 上野国甘楽郡小幡(群馬県甘楽郡甘楽町小幡)をルーツとし、武蔵七党の児玉党の出。江戸時代には旗本。【出典

# 上野国甘楽郡国峯城主の小幡憲重・信真父子は、一族の内紛によって本領を逐われた国衆である。天文17年に関東管領上杉氏から離叛して、北条氏に従属したが、いっぽうで信濃国佐久郡に勢力を伸ばした武田氏とも関係を保ち、両属の国衆として活動したらしい。天文22年9月に、村上義清を追放し、信濃国小県郡塩田城に入城した武田信玄のもとへ、息子の信真とともに出仕している。永禄3年(1560年)に、上杉謙信の関東侵攻が始まると、小幡図書助の謀略により、本領の国峯城を追放された。憲重・信真父子は、武田氏の支援を受け、余地峠の麓の上野国南牧谷の南牧城を拠点とし、南牧谷の土豪の市河氏と連携しながら反攻の機会をうかがった。その後、永禄4年11月に武田軍の西上野侵攻に伴い図書助の子の小幡景高を追放して国峯城を回復した。【出典

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