尼子晴久
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■ 尼子晴久(あまごはるひさ)【出典】: 「尼子」の名字の由来
・ 1514−1560年。享年47歳(病死)。
・ 出身地: 出雲国。
・ 肩書き: 武将。
・ 家族: 父:尼子政久。
・ 家紋: 平四つ目紋。
・ 父の政久が若くして討ち死にしたため、祖父の尼子経久の後見を受けて24歳で家督を継いだ。周防国の大内義隆、安芸国の毛利元就を相手に戦ったが失敗した。その後、徐々に勢力を拡大し、室町十三代将軍の足利義輝によって祖父の代よりも因幡国・美作国・備前国・備中国などが加わり、八カ国の守護になった。1554年に、叔父の尼子国久を中心とした新宮党を一掃し、一族の統制を図った。翌年、陶晴賢が厳島の戦いで毛利元就に討たれると、石見国に侵攻し、毛利軍を破って石見銀山を手に入れた。1560年に、月山富田城内で病没した。
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