出雲国
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 旧国名と地名Top

スポンサーリンク
スポンサーリンク

# 旧山陰道。

# 現在の島根県の東部。

# 太閤検地での石高: 19万石。【戦国大名県別国盗り物語 八幡和郎 PHP文庫】

# 延喜式による国力順位(納税額による)【本当は面白い「日本中世史」 八幡和郎】。出雲国は29位。

# 雲のわき上がる国。

 # 「いずも」は「厳雲(いつも)」で、美しい雲をあらわす古代語。

# 出雲: 「いずも」は「厳雲(いつも)」で美しい雲を表す古代語。【地名でわかるオモシロ日本史 武光誠 角川ソフィア文庫】

# 出雲(いずも): 八束水臣津野命が「八雲立つ」といったことに由来する。【出雲国風土記

# 出雲は昔は「似豆毛」と書いた。

# 出雲(いずも): 古代の出雲政権を作った人達は、自分たちが住む土地を、「いずも」と呼んだ。「いずも」は「厳雲(いつも)」で、美しい雲を表す古代語である。「雲が美しい土地」という意味と「稲作に欠かせない雨をもたらす雲が豊かな土地」という意味をこめた地名。【地名でわかるオモシロ日本史 武光誠 角川ソフィア文庫】

# 出雲国風土記によると、八束水臣津野(やつかみづおみづぬ)の神様が、「志羅紀国(しらき)国)」「佐イ支(いちもじ、さき)の国)」「良波(よなみ)の国)」「高志(こし)の国)」から、えんやこら引っ張ってきて島根半島を作った。

# 鎌倉時代の出雲国の塩谷(えんや)氏。

# 戦国時代の出雲国の守護近江源氏京極氏。京極氏の一族で、守護代になったのが尼子氏

# 佐々木氏は出雲国の守護だが、そこに守護代として送り込まれたのが京極家系の尼子氏。【「系図」を知ると日本史の謎が解ける 八幡和郎 青春出版社】

■ 秋鹿(あいか)の郡(こおり)
・ 郡役所の真北に秋鹿日女命(あいかひめのみこと)が鎮座していることによる。【出雲国風土記
・ 「アイカ」の資料集

■ 意宇郡(いう): 出雲国の郡名。「万葉集」には飫宇・於保、「日本書紀」には於友とみえ、「おう」とよむ。近世以後「いう」。「風土記」には郡名の由来として八束水臣津野(やつかみずおみづぬ)命が国引きをすまして「『今は国引き訖(お)えつ』と詔りたまいて、意宇の杜に御杖衝き立てて『意恵(おえ)』と詔りたまいき」と記している。出典
# 宍道郷: 奈良時代から平安時代にかけて、出雲国意宇郡にみられた郷名。「出雲国風土記」に所造天下大神(あめのしたつくらししおおかみ)命が、狩をしたとき追いかけられた猪(しし)と追いかけた犬が同じような形の石となったとあることから、猪の像(かた)のある所として宍道(ししじ)というとあり、猪の通った道の意か。猪が宍となったのは宍には獣肉の意味があることから宍道と宛てたものであろう。「風土記抄」でその範囲を白石(はくいし)・宍道・佐々布(ささふ)としているが、佐々布は宍道駅に属していたと思われるので、これを除いた現在の八束(やつか)郡宍道町の西半がその範囲であろう。【出典

■ 飯石(いひし)の郡(こおり)
・ 飯石の郷の中に、伊眦志都幣命(いひしつべのみこと)が鎮座していることに由来する。【出雲国風土記

■ 邑智郡(おおち): 石見国にみられた郡名。初見は「延喜式」で邑智・邑知と書く。「和名抄」は邑知とあり、その後の文書では多く邑智と記す。【出典

■ 大原(おおはら)の郡(こおり):【出雲国風土記
・ 郡役所の東北十里百十六歩のところに田が十町ばかりあり、広い原である。そこで大原と名付けた。
・ 神原(かむはら)の郷: 古老の言い伝えでは、天の下をお造りなされた大神の神御財(かむみたから・神宝)を積んで置き給うたところである。だから、当然神財(かむたから)の郷と言うべきだが、今の人はただ誤って神原の郷という。
・ 屋代の郷: 天の下をお造りなされた大神が?(あづち・的置き場)をお立てになって矢を射たところである。だから、矢代(やしろ)という。神亀3年に屋代に改めた。
・ 屋裏(やうら)の郷: 古老の言い伝えでは、天の下をお造りなされた大神が矢を(射て)突き刺して立てられたところ。だから矢内(やうち)という。神亀3年に屋裏と改めた。
・ 佐世(させ)の郷: 古老の言い伝えでは、スサノウノミコトが佐世(させ)の木の葉を髪に刺して踊りを踊ったとき、刺していた佐世の木の葉が地面に落ちた。だから佐世という。

■ 神門郡(かんど): 出雲国の郡名。郡名の由来は「風土記」に「神門臣伊加曽然が時に、神門貢(たてまつり)き。故(かれ)神門と云う。即ち神門臣等、古より今に至るまで、常に此の処に居めり。故神門と云う」と記されている。【出典
・ 神門(かむど)の郡(こおり): 神門臣伊香曾然(かむどのおみいかそね)の時に、神門を貢物として奉ったことに由来する。【出雲国風土記

■ 宍道(ししぢ)の郡(こおり)
・ 天の下をお造りになった大神命が、御狩りをして、追い給うた猪の像(かた)が南の山に二つある。猪を追う犬の像、その形は石となって、猪も犬も異なるところがない。今でもなおまだある。だから、宍道という。【出雲国風土記

■ 島根(しまね)の郡(こおり)
・ 国を引き離された八束水臣津野命が詔して、名を負わせ給うた。だから島根という。【出雲国風土記
※ 八束水臣津野命が名づけたとはあるが、その由来の記載が無いね。

■ 仁多郡(にた): 出雲国(島根県)の郡名で、「爾以多」とも書いた。出雲国風土記によると、郡名の由来について大穴持(おおなもち)命が「是は爾多志枳(にたしき)小国なり」といったことによるとある。「にたし」というのは豊潤の意。【出典

# 仁多(にた)の郡(こおり):【出雲国風土記
・ 天の下を造った大神の大穴持命がみことのりして、「この国は大きくもあらず、小さくもあらず(斐の河の)川上は木の穂が挿しちがえ、川下は葦の根っこが這いわたる。これは「爾多志枳(にたしき、低湿地でニチャニチャした)小国であると言ったことに由来する。

■ 能義郡(のぎ): 出雲国の郡名。島根県能義郡。
・ 出雲国、島根県の郡名。「ヌギ」の転で、「崩壊地形」を言ったものか。【出典

■ 三屋(みとや)の郷(こおり): 島根県 三刀屋
・ 天の下を造った大神の御門(みと)がすなわちここにある。だから三刀矢(みとや)という。神亀3年に「三屋」と改めた。【出雲国風土記


# 続日本紀大宝元年(701年): 8月21日: 参河(みかわ)・遠江・相模・近江・信濃・越前・佐度・但馬・伯耆・出雲・備前・安芸・周防・長門・紀伊・讃岐・伊予の十七カ国にイナゴの発生があり、大風が吹き人民の家屋が損壊し、秋の収穫に被害が出た。

# 出雲国風土記には玉造温泉の記載がある。【古代風土記の事典 東京堂出版】

# 出雲国の水産物: アユ、マス、コイ、イルカ、ワニ、ボラ、スズキ、コノシロ、チヌ、エビ、フグ、サメ、タコ、ウニ、カキ、ノリ。【古代風土記の事典 東京堂出版】

統計表示