平清盛
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■ 平清盛(たいらのきよもり)【出典

・ 1118−1181年。享年64歳(病死)。

・ 出身地: 不詳

・ 肩書き: 武将、公家

・ 家族: 父:平忠盛

・ 武士で初めて、上級貴族の「公卿・公家」になった。1156年の保元の乱で、皇位継承を巡って崇徳上皇後白河天皇が争うと、清盛は源義朝とともに後白河天皇に与して勝利した。その後、後白河天皇の腹心の藤原通憲は清盛を贔屓して重用したため、それに反感を持った藤原信頼は源義朝と組んで、1159年に清盛が熊野に参詣中に御所を襲って、後白河上皇を幽閉し、通憲を殺害した。しかし、ただちに京に戻った清盛の軍勢に信頼と義朝は滅ぼされた。これを平治の乱という。清盛の勢力は拡大し、参議、公卿、そして1167年には最高位の太政大臣になった。清盛の最盛期には知行国は全国で30以上にもおよび、荘園の数は500を越えた。1180年に後白河法皇の子の以仁王(もちひとおう)源頼政が、全国の武士に平氏の討伐を呼びかけ、これに応えた源頼朝を中心とする関東武士に平家は滅ぼされた。


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