佐倉藩 | |
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■ 佐倉藩(千葉県佐倉市)
・ 「佐倉」の地名。
・ 堀田相模守
・ 1746年に老中の堀田正亮が入った。
・ 松平乗邑(のりさと): 下総国佐倉藩主。15〜16歳のころから茶道具を集め出した。そして、ただ集めるだけでなく茶器のデータを記録し、「茶器図録」をまとめた。乗邑は1686年に、肥前唐津藩主(佐賀県唐津市)の松平乗春の長男として生まれた。徳川吉宗のもと、36歳で大坂城代となり、38歳で老中となったが、後に罷免された。
・ 幕末の戊辰戦争で微妙な立場にあったのが、徳川家恩顧の譜代の藩であった。そういった意味では、藩内の意思統一がはかれなかったことも多かった。下総国の佐倉藩11万石も同様であった。藩主の堀田正倫は佐幕派的な努力をしていたが、藩兵300人を率いて新政府軍に嘆願に行った際に、立場の曖昧さに京における謹慎を申し渡された。事実上、藩主が京で人質になったという。
# 下総国。佐倉城。堀田家。譜代大名。11万石。天正18年に立藩。控間:溜間。格:城主。位階:従四位下。上屋敷:千代田区神田神保町。豊臣秀吉の小田原攻め後に、久野宗能が立藩した。その後は、親藩、ついで譜代大名が交替で藩主になって、延享3年(1746年)に堀田正亮が入封して、以後堀田家が廃藩置県に至る。【出典】
# 佐倉藩士:
# 「さくら」の語源
【注意】転封などがあるため、藩主や石高には変化があります。ここでは一例を掲載しています。