筑紫氏
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■ 筑紫氏: 「筑紫」の名字の由来

# 筑紫(つくし)氏

・ 竺志・竹志・築志にも作る。氏名は筑紫国の地名に基づく。姓は(1)君、(2)連、(3)史、(4)無姓の筑紫氏もいた。(1)筑後平野を本拠地とした豪族。筑紫国造後裔氏族と考えられる。筑紫国造は孝元天皇の皇子の大彦命を祖とし、継体朝に反乱して敗れた筑紫君磐井は、日本書紀に筑紫国造とみえるが、筑紫君氏の国造就任は磐井の反乱後のことであろう。そして乱後も、一族は七世紀後半に至るまで在地の代表的首長として存続したらしく、その墳墓として八女市の八女古墳群が比定されている。しかし、氏人の名は上記の磐井のほかに、磐井の子の葛子、斉明朝の百済救援軍に従い、唐軍の捕虜となって天智朝に帰国した筑紫君薩野馬(さちやま)が知られるだけである。(2)饒速日(にぎはやひ)命の子の味真治(うましまじ)命を祖とする氏族の一つ。祖先伝承が新撰姓氏録の山城国神別にみえるのみで、氏人の名は未詳。(3)渡来系氏族。新撰姓氏録では左京諸蕃上に筑紫史、摂津国諸蕃に竺志史を載せ、ともに陳思王植(ち)の後裔とある。七世紀末から八世紀末にかけて知られる一族のうち、筑紫史広嶋は延暦四年(785年)二月に野上連と改賜姓した。(4)無姓の筑紫氏のうち、天平宝宇五年(761年)三月に坂原連の氏姓を賜った百済人の竹志麻呂は摂津国の人であったから、同国の竺志史氏の一族と推定される。【出典

姓:真人・朝臣・宿禰・忌寸・道師・臣・連。直・臣・使主・君・公などの詳細

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