「儀俄」の名字の由来
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■ 儀俄(ぎが)

【2023/07/20:改編】

# 近江国蒲生郡儀俄荘(滋賀県甲賀郡水口町)をルーツとし、蒲生氏の一族。南北朝時代には、南朝に属した。【出典

# 一族には、蒲生氏郷に仕えて会津に転じ、のちに南部藩士になった家がある。【出典】 

# 蒲生氏庶流建仁4年(1204年)に蒲生惟賢の五男の俊光が近江国甲賀郡儀俄荘(滋賀県甲賀市水口町)の下司になったのが祖。以後、代々蒲生氏に仕えた。南北朝時代に、氏秀は儀俄荘の地頭になり、以後は蒲生氏とともに蒲生郡を代表する国人に成長した。戦国時代以降は蒲生氏の重臣になって、天正15年(1587年)の九州参陣後、恩賞として蒲生氏の姓を賜った。以後、嫡流は蒲生氏を称した。主家が断絶した後には出雲国松平家に仕えた。【出典

# 近江国蒲生氏庶流建仁4年(1204年)に蒲生惟賢の五男の俊光が近江国甲賀郡儀俄荘(滋賀県甲賀市水口町)の下司になったのが祖。以後は、代々蒲生氏に仕えた。南北朝時代には北朝に属した。天授元年・永和元年(1375年)に氏秀は儀俄荘の地頭職を得て、以後は、蒲生氏とともに蒲生郡を代表する国人となった。戦国時代以降は蒲生氏の重臣になって会津若松時代には7000石を知行した。天正15年(1587年)の九州参陣後には、恩賞として蒲生姓を賜り、以後は嫡流は蒲生氏を称した。主家の断絶後には、出雲国松平家に仕えた。【出典

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