「日立」の地名の由来 | |
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■ 日立(ひたち): 茨城県日立市
・ 愛知県の豊田市がトヨタ自動車にちなんで旧挙母町から豊田市となったように、茨城県の日立市も日立製鉄所にちなんでできた地名かと思っていたが、違うのか?
・ 1889年に市制がしかれた時に、多賀郡宮田村と滑川村が合併することになったが、新しい村名でもめて「日立村」と決定した。そもそも、茨城県は昔「常陸国」と呼ばれており、それにちなんだものである。では、なぜ「日立」になったのか?一説では水戸光圀がこの地の山を訪れ、朝日が昇るのを眺めて、「日の立ち昇るところ領内一」と言った故事にちなんだものらしい。
※ いつも思うが、こういった故事って意外に怪しい。水戸黄門の「諸国漫遊記」だって、時代が下れば、「一つの故事」になったりして。
・ 水戸光圀の「朝日立ち上ること領内一」の言葉に由来する。【出典】
・ 水戸光圀の「朝日の立ち上がる光景は秀麗にして偉大なること領内一」に因むと言うが、旧国名の「ひたち」の音も念頭にいれたことであろう。【出典】
・ 日立駅(ひたちえき): JR東日本・常磐線。茨城県日立市幸町。
・ 日立駅(ひたちえき): 助川駅(すけがわえき)→日立駅。常磐線。当地の代表的な集落は、江戸時代には浜街道(陸前浜街道)の助川宿で、その名を駅名にした。その後、宮田村と滑川村が合併して日立村となった。日立村は助川町と合併して日立市となり、駅名も改称した。【出典】
・ 日立・常陸(ひたち): 常陸国。茨城県日立市。茨城県常陸太田市。茨城県神栖町常陸利根川。「ヒタチ」は、日の昇る日の出の国の意味。つまり、太陽が昇る東国のことで、日立や日出が内容を表している。では、どうして「常陸」の字をあてたのか。これは、国語学のほうで熟字訓といっているのがそれで、読み方に関係無く内容を文字で示したもの。やまとことばに漢字を振ったもの。【出典】
・ 常陸(ひたち): 常陸国風土記によると、孝徳天皇の時代に、足柄の坂から東にある国々を統治して、八つの国に分けたが、常陸国もその一つである。国名を「常陸」にしたのは、「人々が往来する道が湖や海の渡し場によって隔てられてはおらず、郡や郷の境界が山から河へ、峰から谷へと、次々に続いているので、直通(ひたみち)、つまり陸路だけで往来できているという意味をとって、国の名称にした」という。また、日本武尊がこの地を通ったときに、新しく掘った井戸の水で衣の袖を浸したことから「ひたち」になったという説もあるが、前者の方が妥当だろう。【出典】
・ 日立(ひたち): 日立村が成立したのは、明治22年(1889年)の町村制の施行で、「宮田村」と「滑川村」が合併して「日立村」になった。大正12年(1923年)の「常陸多賀郡史」に、徳川光圀が元禄8年(1695年)9月に、神峰山奥殿に登拝した際に、「旭日の立ち昇る光景の偉大なるは、領内無二と仰せられたり」と書かれており、そこから「日立」の村名が生まれたという。【出典】