「くだら(百済)」の地名
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu 地名の目次
   
スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 百済(くだら): 大阪府堺市。地名の由来は不詳であるが、「泉州志」は、百済村の項に「姓氏録和泉国諸蕃百済公」と記し、当地との関係を問題としている。地内に、百舌鳥野(もずの)の大古墳群築造に関係していた土師(はじ)氏の住居跡と見られる土師(はぜ)遺跡や、ニサンザイ古墳がある。【出典

■ 百済(くだら): 奈良県北葛城郡広陵町百済。百済国から渡来した人々の居住地。応神朝に「高麗人・百済人・任那人・新羅人、並に来朝(まうけ)り」と見える(応神紀7年9月条)。【出典

■ 百済浜(くだらはま): 島根県大田(おおだ)市鳥井(とりい)町笠ケ鼻東岸の浜。7世紀の頃、百済国から渡来人が上陸し迫(さこ)に定住。9世紀に百済鉄山が起こり、近くの海岸の砂鉄を原料として鈩(たたら)が開かれ、また近世、鳥取から砂鉄を運ぶ船も百済浜に入港し、鈩製鉄は明治中頃まで鳥井の石田家によって経営された。久手(くて)町の百済山観音寺に百済浜の海底から上がったという秘仏聖観音像がある。【出典

■ 百済来村(くたらぎむら): 明治時代から昭和にかけて、熊本県葦北郡にみられた村名。小川内・久多良木・田上・鶴喰・川岳の5か村が合併して成立。【出典
・ 久多良木(きゅうたらぎ): 「くたらぎ」ともいい、「百済木」とも書く。地名については、敏達天皇の代に、葦北国造阿利斯登の子で永く百済王に仕えたという日羅が百済から帰朝したという故事にちなみ百済来と称したとする伝承がある。【出典

# 外国由来の地名集

統計表示