粒丘
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■ 粒丘(いいぼおか): 播磨国風土記の揖保郡揖保里粒丘(いいぼぐんいいぼのさといいぼおか)の条によると、アメノヒボコ神は半島より渡来し、アシハラシコオ神(大国主命)に、自分の宿を確保して欲しいと頼んだので、アシハラシコオ神は海中を宿として許した。その時に、アメノヒボコ神は剣で海水をかき混ぜて、海中にできた島に宿った。アシハラシコオ神は、アメノヒボコ神の凄まじい霊力に畏れて、アメノヒボコ神よりも先に国占めをおこなおうとして、粒丘に行って食事をした。すると口から飯粒が落ちたので、この地を粒丘という。記紀では、アメノヒボコは新羅の王子としているが、播磨国風土記では「客神(渡来の神)」とされている。これを重視すれば、アメノヒボコは1人の人間ではなく、「日の矛」を宗教儀礼の祭具とする、集団と捉えるべきである。【古代風土記の事典 東京堂出版】  

■ 粒丘(いいぼのおか)
・ 奈良期に見える地名。播磨国揖保(いいぼ)郡のうち。「風土記」揖保郡揖保里の条に記されている地名で、揖保の地名説話が記されている。説話は天日槍命と葦原志挙乎命の国占伝承の一節で、天日槍が韓国より渡来して宇頭の川底にやって来て葦原志挙乎に「あなたは国主だから私の住む所を提供して欲しい」と頼んだところ、葦原志挙乎は海中ならよいと許した。天日槍命は剣で海水をかきまわして、その上に住んだ。葦原志挙乎は天日槍命の力を恐れて、先に国を占守しようとして粒丘まで来て食事を取ったところ、口から飯粒がこぼれ落ちた。故に粒丘と名付けられたという。現在の龍野市揖保(いぼ)町揖保上の北方にある独立山塊の中臣山・現権山に比定される。【出典

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