行き着くところは「あべ」?
参考資料・文献 利用上の注意
名字の由来のTop 地名の由来のTop
名字と地名のMenu ワンポイントのTop
スポンサーリンク
スポンサーリンク

■ 150309: 行き着くところは「あべ」?

徳川家康の関東移封の際に、秀吉は江戸をその中心地にすることを勧めたというが、その理由は「江戸には小田原や鎌倉にはない舟入(ふないり)があるので、今後繁盛するだろう。」とのこと。つまり港を作りやすいということのようだ。そういえば、秀吉恩子の大名は皆、港町に城下を開いたが、家康譜代の大名で港町を城下にした人は少ないと聞いたことがある。

やはり、秀吉は信長の影響を受けてか、海外との交流も含め、船による物流に先見の明があったのかなぁ?

ただ、東京学芸大教授の大石学さんによると、家康も決して内向きで港の重要性を軽視したわけではないと言う。ある意味、250年後の異国の出現を予測しており、先見の明があったとも言える。なぜなら幕末に押し寄せた蒸気船。いくらがんばっても砲弾が海から届く距離は限られていますからねぇ。実際、四国艦隊が長州を攻めたときも艦砲射撃では圧勝したものの、結局地上の制圧まではいかなかった。

そういう意味では港町の下関はやられたが、藩の中心地の萩は無傷(萩も海から近いが)。これは大きい。やはり首都が制圧されるか否かは心理的に大きくちがうからなぁ。昔も今も艦砲射撃や爆撃で攻撃するのは力の強い方が有利だが、最後に決するのは地上戦だねぇ。そういう意味では、古来蒙古が攻めてきた時も日本の地上軍は奮戦している。歴史、地形学者に言わせると、その背景には日本独特の地形(あべ)があるという。そういう意味ではベトナムも一緒かな。

「あべ」とは日本語(古代語)で湿地帯を意味する。「あべ」は元々「危辺(あべ)」で「崩れたり、湿地」などをしめし、後に「安辺」に変化したと言われる。「あべ」という名字の語源もここにあるという説もあるが、さて現在の「あべ(安倍)」さんは日本を守る力があるのでしょうか?

そうそう、津波を海外から押し寄せる蒸気船に考えれば、やはり家康の城下町作りの考え方が参考になるのかなぁ。たとえば、庄内藩の本拠地は内陸の鶴岡に置き、通商物流の拠点だけ湊町の酒田に置いたように。いわゆる、リスクと用途による使い分け(住み分け)ですねぇ。

歴史を読むと現代が理解できる。 

統計表示