法然
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■ 法然(ほうねん)【出典

・ 1133−1212年。享年80歳(病死)。

・ 出身地: 美作国。

・ 家族: 父:漆間時国

・ 肩書き: 僧(浄土宗の開祖)

・ 平安時代末期、貴族よりも庶民に近い武士が政治権力をにぎるようになった。このため、仏教も貴族から庶民を対象とするようになった。そんな中で登場したのが法然。法然が9歳のときに、土地争論が発端で父の漆間時国が殺害されたが、父の遺言により、仇討ちを放棄して仏門に入った。比叡山に登って天台教学を学び、下山後には念仏(南無阿弥陀仏)を唱えれば、死後はだれでも平等に極楽浄土に往生できるという「専修念仏」の教えを説いた。この「浄土宗」は、地方武士、庶民もさることながら、新時代の到来に不安を抱く貴族にも広がり、九条兼実らが帰依した。しかし、信徒が増えたため、旧仏教側から非難を受けるようになった。1205年に、後鳥羽上皇の留守中に、院の女房たちが法然門下の僧によって出家し尼僧になったとして、法然は後鳥羽上皇の怒りを買った。これをきっかけに、後鳥羽上皇から念仏停止の断がくだされ、法然は四国に流された。


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