大村益次郎
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■ 大村益次郎(おおむらますじろう)【出典】
・ 1825−1869年。享年45歳(病死)。
・ 出身地: 長門国。
・ 肩書き: 兵学者、長州藩士。
・ 家紋: 丸に桔梗紋。
・ 大村益次郎は、長州藩の村医の長男として生まれた。地元で医学、蘭学、漢籍などを学んだ後、大坂の適塾で学んだ。その後、宇和島藩から蘭学や兵学の指導に招かれて、さらに幕府の講武所の教授となった。江戸で、桂小五郎と出会い長州藩士になり、萩に帰ってからは藩校の明倫館の教授になった。第二次長州征伐では幕府軍を撃退し、鳥羽伏見の戦いで勝利をおさめた。新政府では、兵部大輔となり、軍制の近代化に努めたが、廃刀令や徴兵制に対する反対をうけ、浪士に襲われて負傷し、その傷がもとで死亡した。
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