中世の東海道をゆく | |
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■ 中世の東海道をゆく 榎原雅治 中公新書
・ 京から鎌倉に向かう武士の道中記をもとにしたものだが、なかなか面白い。
・ まず、東海道というと鈴鹿越えであるが、当時は関ヶ原経由だったようだ。
・ 滋賀県の愛知川の支流の河床を道として歩いたとある表記があり、河床も街道の一部だったようだ。
・ 面白いのは、熱田からの鳴海潟ルート。山沿いの迂回ルートではなく、干潮時を選んで干潟を歩いたようだ。干潟は平坦で歩きやすいのかな。そのために、前後の宿場は川待ちのように、潮待ちとしても利用されたようだ。
・ それから、杭瀬川には板を渡しただけの簡素な橋(浮き橋?)がかかっており、郎党が引いた馬が落ちたとある。
・ 当時の徒歩の速度は3.5キロくらいだったらしい。京をでると、最初の泊まりは鏡宿、次が番場宿だったらしい。