天平地震
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■ 正平地震

・ 正平16年(1361年)6月24日寅刻(午前4時頃)

・ M8.0〜8.5で南海プレートを震源とした巨大地震だった。

・ 紀伊国の熊野から摂津国・河内国まで広範囲に深刻な被害があった。

・ 法隆寺の記録である「嘉元記」に、「天王寺金堂破れ倒れぬ、また安居殿御所西浦まで潮満ちてその間の在家人民多くもって損失する云々」とあり、難波浦の広範囲に津波の被害があったとされる。当時の四天王寺の位置は海岸から約2Kmとのこと。

・ 正平の地震がおきたのは、足利尊氏が亡くなって嫡男の足利義詮が二代将軍に即位した2年半後。

・ この地震が南北朝にあたえた影響は?正平地震は南朝の経済基盤に大きな影響を与えた。

【今こそ知っておきたい「災害の日本史」 白鳳地震から東日本大震災まで 岳真也 PHP文庫】 

# 正平地震

・ 正平2年(1325年)。

・ 南北朝の動乱時代は、自然環境の動乱時代でもあった。

・ 江戸時代後期に編纂された「続史愚抄(そくしぐしょう)」には「江北地方に、大地震あり、愛発(あらち)の中山崩れ、日吉社(ひえしゃ)・八王子の神体堕(お)つ。又、竹生島の奥院崩れて湖中に入りしといふ」とある。

※ 日本語は難しいですねぇ。「続日本紀」の「続」は「しょく」読みだが、「続史愚抄」は「そく」読みですねぇ。

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